5月の連休、同居人は自分の新居の賃貸契約をしてきました。
少しばかりの荷物を残し、荷物の搬出が完了したのは5月後半。引っ越し代が極力かからないように、連日少しずつものを持ち出していました。家具はIKEAなどで安く調達したようでした。
ようやく、彼との同居生活が終わりをつげました。
見てはいけない、元同居人の「新生活」
引っ越し前、どこに住むのか何度聞いても教えてくれなかった元同居人。
後から聞いた話ですが、彼が新居に運び入れた最初の家具はなんとワインクーラーだったそうです。
お金がないと言って私の家に転がり込んできたのに、嗜好品が一番に揃えられている…その事実に、言いようのない嫌悪感を覚えました。
それは、まだ私がシェーグレン症候群にかかる以前、彼が転職した際に出た退職金で100万円以上もする高級な腕時計を買った時の絶望感と似ていました。
私には何も買わないどころか、家賃も食費も払わないのに、「退職記念」に高価なものを買う。
その時の行き場のない気持ちが、蘇ってきました。
距離にしてわずか200メートル
引っ越し後、「新居を紹介したい」「おどろかせたい」と彼に連れられて行った場所。
私は正直、どのくらい離れた場所に引っ越したのか、ただそれだけが気になり、多少の引っ越し荷物を持って、ついて行きました。
そして、信じられない事態に直面します。
彼の新居は、私の家からたったの200メートルしか離れていなかったのです。
「別れた元彼女の家に2年以上住み、その後に近所に引っ越すなんて、もはやストーカーの域では?」
そう思わざるを得ない距離でした。
彼の新居は、都心にある学生が住むような小さなワンルーム。
部屋全体を見るのに1分もかからないほどの広さでした。
「洗濯機がない」彼のまさかの提案
部屋をぐるりと見渡した時、私はあることに気づきました。
「洗濯機がないけど、どうするの?」
私がそう聞くと、彼はあっけらかんとこう言いました。
「週末に、おたくに洗濯しに来るよ」
心の中でうんざりしました。うんざりしたのですが、私は「週末だけなら、まだマシか」と思うようにしました。
そう思うのが最も精神衛生上、自分にとって良いと思う習慣だったように思います。
ここで彼を突き放せば、どんな極端な行動に出るか分からないという恐怖もありました。出ていったものの、合鍵を返して欲しい、と言ったのですが、合鍵を返してはくれていなかったのです。
精神も身体も、少しずつ解放されていく
彼が家を出て行ってから、私の心は少しずつ安定していきました。
日常のイライラが減り、お皿を投げつけたくなるような衝動もなくなりました。
ちょうど同じ頃、不思議なことに、関節痛も急速に改善しました。
それまで痛くてできなかった部屋の片付けも、少しずつ進められるようになりました。
振り返ってみれば、彼との同居中、私はぐっすり眠れていなかったのかもしれません。
彼が夜遅くまで電気をつけて仕事をし、時には電話をしていたことで、私の睡眠はかなり阻害されていた状態だったのです。
週末に彼が来る時以外は、私は完全に彼から解放されました。
心からホッと一息つくことができたのです。
小さな戦いと、少しずつの自立
しかし、週末だけは彼の生活が私の生活に入り込んできました。
土曜日の朝、決まった時間もないままに現れ、洗濯を済ませ、夜は私の家にある食材で食事をして帰る。
「せめて食材だけでもどうにかしたい」
私はそう思い、彼がワインの勉強を始めたタイミングでワインクーラーも買っていたので、「ワインはあなたが選んだものの方が美味しいと思うので持ってきてね」と伝えました。
しかし、外食に行けば、彼の分まで私が払うというパターンも相変わらずでした。
私は毎回「あなたの分は払わないからね」と口を酸っぱくして言い続けました。
そうして半年ほどかけて、ようやく割り勘ができるようになったのです。
少しずつ、少しずつ、彼の存在を私の生活から切り離していく。
私はそう決意しました。
彼の完全な自立までの道のりは、まだ続きます。
続きはまた来週。
