私の病中病後:エピソード1. 招かざる同居人

私の暗い過去 わたしについて

今日は私の発症までの背景を週1回程度、数回に分けて毎週木曜日にアップしていこうと思います。


2020年3月、世間がコロナ禍で騒然としていた頃、私の日常は突然の訪問者によって大きく揺さぶられました。

それは、長年にわたる関係に終止符を打とうと、もがき続けていた不倫相手、A君でした。かれこれ5〜6年の交際のあと、当時で既に3年ほど経過していたのですが、私から別れ話をしては適当にあしらわれて宙ぶらりんな関係が続いていました。付き合う前にA君が既婚者であるにも関わらず「結婚しよう」と言われうっかりその言葉を信じてしまい付き合ったのですが、付き合い始めてしばらくしたら「社会的ステータスがあるから離婚は絶対しない」というようになり完全に私の判断ミスだったな…と思いました。また、彼氏が出て結婚するまで別れないという謎のコメントもされており、これはなんとか別れないといけないと思って苦戦していました。
別れ話を始めて、新しい交際相手も作り、私の中ではもう付き合えないと思っていました。
それでも、コロナになり、一日中私の家にきて週3日、4日ダラダラと家にいるので、「いる意味がわからない、息苦しいので家に帰って欲しい」と言ったところ、私の家に来るのは週1回あるかないか程度となりほっとしていました。そもそもの問題は私が一人暮らしなので過去に鍵を渡していたことでした。鍵を返してもらえず、気がついたら私の家にいるという感じでした。
これで少しずつ縁が切れていくかな、と思っていた3月のある日、彼は会社に行く格好(スーツ姿で鞄を持って)でうちに来てこう告げたのです。「嫁に家を追い出された。5月の連休まで、2か月だけ置いてくれないか」と。

別れ話をしている相手を家に住まわせるなんて、今思えばなぜそんな決断をしたのだろう、と思います。しかし当時の私は、「たった2か月」という言葉を信じ、東京のワンルームではありますが少し広めなので、なぜか「仕方ないか」と彼を受け入れてしまい、おかしな同居生活が始まりました。今考えれば明らかにおかしいのですが、A君の反則技的な粘り腰の交渉力に散々負けてきたので心が麻痺してきたのだと思います。

このうっかり選択が、私の心と体に大きな影を落とすことになるとは、知る由もありませんでした。

2か月のはずの同居生活は、ずるずると延びていきました。嫁と子供に給与はほとんど持っていかれてお金がないから出て行ったら東京湾で⚪︎ぬしかない、と繰り返す彼に、私はなす術もなく、ただただ消耗していきました。家のオーナーが家賃滞納の居住者を追い出せないというのはこういう状況なんだなぁとしみじみ思いました。

生活習慣の違いは、私にとってなかなかの拷問でした。真夜中の2時、3時まで煌々と電気をつけ、電話で話し続ける声に何度も目が覚めます。やっと眠りについても、夜明けには彼の大きないびきで起こされるのです。私は朝方なのでその後眠れなくて困っていました。その頃、同居人は「夜眠れない」と言って悩んでいるふうでしたが、朝寝や土日のどちらかは1日日中も寝ているという状態で呆れていました。休日に1つしか部屋がないのに誰かが寝ていると、音を立てるのにも気を使い、居場所がない感じがしていました。

食事の好みも正反対でした。消化酵素が少ない私は、脂っこい食事が苦手です。しかし彼は、毎週のようにステーキやトンカツなどの肉料理を求めたがりました。塩の濃さも合わず、私が作った料理について、同居人は塩、胡椒、七味、山椒で味を付け直して料理していました。同居人は料理が得意だというので、料理をしてもらうと、私はしょっぱかったり唐辛子でからすぎたり油っぽかったりで、少しだけしか食べれないものが多くありました。また、料理は好きなようですが、洗い物は好きではないようで、肉の油でいっぱいのフライパンやお皿はそのまま、キッチンには強火で大量に油が飛び散った状態が放置されており、掃除については何度言ってもどこ吹く風、という感じでした。

ワンルームという限られた空間での生活は、息が詰まるようでした。自分の部屋なのに、自分の居場所がない。私は耐えきれず、コロナ禍にも関わらず日中はカフェに逃げ込むように出かけるようになりました。

そして、部屋は徐々に彼の荷物で埋め尽くされていきました。気がつけば、かつて私のお気に入りだった空間は、物で溢れかえり、片付けようにも手のつけようがないほどになっていたのです。彼はそんな散らかった部屋でも平気なようでくつろいでいましたが、私は自分の家なのに「夜逃げしたい」とさえ思うようになっていました。


まさかの事態、ホテルでの隔離生活

そんな同居生活を送っていた5月のある金曜日。まだ世間が外出を制限している最中、同居人はジムから帰ってくると、一日中ベッドで寝ていました。どうやら体調が悪いようでしたが、彼は何も言わずに部屋にこもっていたのです。

私は月曜日にクライアント先に行く予定があったため、もしものことを考えて、土曜日の夕方に慌てて荷物をまとめ、ホテルに避難しました。月曜日は体が重いと感じながらもお客さん先へ向かい、仕事を終えても自宅には戻れず、そのままホテルに宿泊しました。

その後、私の体調は悪化し、病院に行くとコロナに感染していることが判明しました。私はやむなく、患者を受け入れるホテルに移動して1週間ほど過ごすことになりました。

そして、ようやく自宅に戻れることになった時、A君から信じられない言葉を突きつけられました。「コロナに感染したくないから、帰ってこないでほしい」。自分の家にすら帰ることが許されない、そんな状況に私はただただ呆然とするばかりでした。

肉体的にも、精神的にも、追い詰められていく日々。
気がつけばこの頃、食生活も変化し、外出も制限され、私の腸内環境は悪化していたのだと思います。また、ちょうど2021年から担当したクライアントのうちの一つはクライアント内の政治的な問題が多く、それをITベンダーにぶつけてくるというハンドリングが難しいクライアントだったので、仕事上のストレスも重なったのだと思います。

そんな生活がおよそ2年半も続いていた2022年10月後半、私は肩の激しい痛みに襲われました。それが、後にシェーグレン症候群だとわかる、最初の症状だったのです。


次回は8/21(木)に発症してからのエピソードを書こうかなと思います。