長かった「週末の戦い」は2年ほど続きましたが、ついに終わりが訪れました。
転職後、仕事で苦戦していた元同居人は、ついに地方の仕事の担当となり東京からの出張ベースでも良かったのですが、地方に住むという決断をしたからです。
決断理由はどうやら住宅費用が会社で全部賄われるから、ということのようでした。現在の6、7万円前後の家賃負担が、飛び出してきた自宅の支払いに乗っているので苦しいと考えていたようです。
この話を聞いたとき、私の心の中では「チャンス!」という言葉が響き渡りました。
まさかの「引っ越しリターンズ」
偶然にも、彼の引っ越しは前回、彼が近所にワンルームを借りた同じ5月に行われることになりました。
会社から住居手当が出るため、前回のような狭い六畳一間ではなく、単身者向け物件ではあるもののワンルームではなく、1LDK以上の部屋を借りようと色々調べているようでした。
彼もあの狭い部屋での生活には息苦しさを感じていたのでしょう。彼の気持ちも理解できなくはありませんが、自分の解放が最優先だったため、余計な同情はしないと決めていました。
最後の掃除と、空っぽの部屋
5月後半の週末、引っ越し業者が彼の荷物を運び出し、部屋は空っぽになりました。
私は最後の部屋の掃除を少しだけ手伝いました。埃だらけだった床を拭き掃除し、荷物がなくなった部屋は、本来の広さを取り戻しました。
彼の生活用品が入っていた頃は、居住スペースがたったの3畳ほどに見えていたのですから、その開放感は格別でした。
一般的には、これだけ長く付きまとわれた相手が去るとき、多少の寂しさもあるのかもしれません。しかし、私の中にあったのは「これでやっと身軽になれる」という、開放感でした。
残された「謎の貴重品」と、旅立ちの夜
残念ながら、彼はいくつかの貴重品を私の家に残していきました。(高級時計は私が置いていったら売るぞと言ったので最初の引越しの際に持っていっていましたが。)
キャリーケースが1週間分の荷物でいっぱいになり、どうしても持って行けなかったとのこと。断捨離を進めている私としてできることならこのタイミングで処分したかったのですが、渋々、東京に戻った時に引き取るという条件で受け入れました。
引っ越し当日、空になった部屋で一晩寝て寒かったと不満をいっていた元同居人は、翌日には地方へ旅立ちました。
荷物は次の週末に届くため、それまではホテル暮らしとのこと。
うちで朝食をとって玄関で見送りました。
朝食の時に、元同居人は私の家の近くに引っ越してからも朝は必ずLINEでメッセージを送ってきていました。もともと同居していた時は1日5回も10回も電話してくる人だったので、私が電話を減らしたくて「生存確認のため朝1回連絡をとる」と約束していたからです。
それも、地方の案件では、リモートワークもなく会社の同僚の人たちと毎日顔を合わせるようになるということでしたので、連絡しなくて大丈夫、と伝えました。
見送り終わって「本当に、やっと解放された!」と心からホッとしました。これからは、心穏やかに、自分のペースで生活できる。そう確信しました。
こう書くと本当に冷たくて意地悪な自分を感じますが、それが私なんだと受け入れざるを得ないほど、とても素直にそう思いました。
振り返れば、爽やかな季節の5月は大好きですが、私にとってはどうやら人生の大きなイベントが起きがちな季節のようです。
同居人
次回からは、シェーグレン症候群と向き合う、新しい私自身の生活について綴っていきたいと思います。
